皆様こんにちは。今回ご紹介差し上げるのは、鬼北町にある「等妙寺旧境内」。と言っても、皆様には馴染みが無いはず。それもそのはず、ここは、江戸時代に入る前に・・・豊臣秀吉の四国征伐の際に焼き払われた古の名刹(名高い寺)。つい最近まで言い伝えしか残っていなかったものが、発掘調査によって改めて確かめられたもので、文化庁により「国指定史跡」にまで認定された場所です。
それでは、いつのもように月刊『YES?』12月号(11月25日発刊)より抜粋いたします。
―前略
日本仏教にとっては一大転換期とも言える時代に誕生した由緒正しき聖地だったのです。後の研究により、そんな聖地が全国に4カ所(前出)在ったことまではわかったらしいのですが、現地が確認できたのはこの鬼北町、等妙寺旧境内のみという、仏教史的にも極めて重要なトピックスだったのです。
そして現地に赴くと、現在も等妙寺として信仰の対象となっている、かつては「霊光院」と呼ばれた(旧等妙寺は七堂伽藍を有した)お寺から始まる山道(乗用車では無理)を延々と登り車を降りると、そこはもう明らかに大気の違う清々しい空間でした。
目の前には、未だ雑然としたままの杉木立の中に明らかに人工的と思える石組や石畳が点在しています。
「ねぇわかる? すごく空気が違うでしょ。…間違いないわね」
と声をかけられても、それはフィトンチッドかマイナスイオンくらいにしか感じない小誌編集者は、やはりそれなりのリアクションしかとれません。しかし、意を決して
「先生、やっぱりここはパワースポットなんでしょうか?」
と尋ねると。
「パワースポット? そうね、紛れも無いパワースポットよ。…って言うより聖地ね。サンクチュアリよ。もう、どこというか、この辺り一帯の空気が違うもの、素晴らしいわね」
後略―
ほら、すごいでしょ。では、続きは月刊『YES?』でお楽しみください。
PS:次々号(1月号)では、ついに「パワースポット巡り・バスツアー(1泊2日)」の参加受付を開始いたします。目的地は出雲大社。他にも、大山祇神社とか鳥取砂丘とかも一緒にお参りする予定です。楽しみにお待ちください。